よろしく先輩!特別編 女子バレー部 生瀬良造監督
 


各方面で活躍する青学の卒業生にいろいろとお話をうかがうこのコーナー。
今回は特別編として、昨年17年ぶりに全国制覇を果たし、今年2月に青学職員としての定年を迎えた女子バレーボール部監督の生瀬良造さんにお話を伺いました。



生瀬良造

1941年2月11日生まれ 

大学時代は男子バレー部マネージャーとして活躍。
大学卒業後、青学職員に。 その後女子バレー部監督に就任。
以後40年以上に渡り女子バレー部を指導。
2006年2月 青学職員を定年退職。

1988年 全日本インカレ優勝
2005年 春季リーグ・東日本インカレ・全日本インカレ優勝の3冠を達成

 

 

 ―― 青学のバレー部卒。で、職員になって、女子バレー部監督に。どういういきさつが?

もともとはアサヒビールという大手の企業に就職が決まってたんです。ところがバレー部のマネージャーをやってまして、真面目だったものですから、学生課長と教務課長から学校に残るようにと誘われて、それで職員として残ったんですね。
当時は女子のバレー部員が少なかったんで、最初は指導するなんていう気持ちはなくて、ボール拾いとか手伝いをしてやろうと思ってやってたのが、はまっちゃったきっかけですね。

 ―― 教えた経験はなかった。どうやって指導を?

もうなすがままに、選手に教えられながらやってたっていう感じです。
最初のころは『ど根性』バレーをやってたんですね。大松さんが東洋の魔女を鍛えた頃だから、どこのバレーもみんな根性バレーで。あれが勝つ秘訣だと思ってやってたから。
でもやってる間にだんだん、俺流、生瀬流の指導になってきたと思うんですよね。

 ―― それは何かのきっかけで?

結局、学校の建学の精神に則った、人間形成というのが最終目標ですから。
そのためには選手と一体感を持ってやれたら人間形成に少しでも役立てるんじゃないかなと、そういう気持ちにだんだんなってきたんですね。

 ―― 選手に話を聞くと、監督は私たちを大人としてみてくれると言います

 

選手と一体となって試合に挑む

うん、もうやっぱりね、信頼をしてやるってことが非常に大事ですから、そんなに怒るわけでもないし、いいことはいい、悪いことは悪い、とはっきりして、そのときそのときを大事にしていくやり方をしてますから。
それが、私流のやり方じゃないかなと思ってます。
やっぱり、いいやいいやでやってたら勝てないから。勝つっていう執念を指導者が持ってないと選手は見抜きますからね。適当にやってても叱られもしないと思われちゃうと困るんで、そういう意味では、試合をやる以上は、勝ちに行く、という気持ちを指導者がしっかり持って、それが選手に伝わるようになってないといけないと思うんですよね。
だからやっぱり愛情という気持ちを持って接していかなきゃならないんで。それはコミュニケーションの大切さにもつながると思うんですけどね。
最終的には人間形成というか、その人の人格を磨いていく手助けをするのが指導者ですから、そこが最後の狙いになるんですよね。

 

バレー部監督として

 ―― 昨年のインカレ優勝について。今回で2回目の優勝です。

そうなんですよね。たった2回(笑)。

 ―― 前の優勝から今回の優勝までの間の17年間にはいろいろなことがあったと思うんですけど?

職員としての仕事で厚木に事務部長で行ったり、それから就職部の関東の会長にさせられたり。そういう間は指導にあたる時間がなかなか取れなかった。
やっぱり、週に4回とか5回とか練習に出れないと、なかなか選手と一緒に、気持ちを合わせて本当に勝ちにいくんだ!っていう、そういう気持ちは湧いてこないと思うんですよね。口だけではやれるんですけど。
心底自分からそういうやり方で教えていかないとならないな、というのがつくづくわかりました。

 ―― 前の優勝と今回の優勝の違いは?

 

監督と選手を脇で支える横手コーチ

今回は本当に狙って勝ち取ったっていうね。もうそれが大きな違いですね。
前のときは、まあ、そこそこはやれるだろうっていう気持ちはあったんですけど、トントン拍子でこう予想外の勝ちっぷりで、わっしょいわっしょいで、いっちゃったんです。
今回のはもう本当に、今年しかない!ぐらいの気持ちでやりました。それから選手がものすごく一生懸命やってくれたしね。
あと、横手コーチ。彼女がすごい大きな力になってくれました。うちの卒業生で実業団行って、去年はうちの手伝いをしてくれていたんです。選手と近い年齢ですから、いろんな面で相談にのってあげることができるし、選手が考えていることも、横手コーチを通して自分のとこに伝えてくれたりしてましたんで。それが非常にうまく回転したんですね。

 ―― 今回は「優勝する」とはっきり宣言していたそうですが?

そうですね。もう自信もってやれましたね。まあ、自分が青学職員として最後の年度でもあったんで、『ここは一つ、いい思いをして引退していきたいな』と(笑)。そう思ってましたんで、狙い通りだったですね。

 ―― 今回は絶対的なエースがいないとよく仰ってましたが、それでも優勝というのは自信があった?

あの、結局ね、スポーツっていうのは、楽しんでやる、っていうことが、スポーツの本当の姿だと思うんですよ。その楽しみ方は、へらへら笑ってやる、ということではなくて、自分の力がどれだけ発揮できたら勝ちに繋がっていくか、っていうようなことで、楽しみながらやれるはずなんですよね。だから、そういう本当の原点を考えたときに、うちのチームの選手はみんなその辺を理解してやってくれてますから。
いつも、気を引き締めた中でもリラックスして、自分の力を出し切ってやれる。そういうスタイルだと思うんですよね。

全日本インカレ優勝で胴上げされる生瀬監督

 

 ―― チームの今年の目標は?

4冠(春リーグ・東日本インカレ・秋リーグ・全日本インカレ)。これを狙うこと。
それと、Vリーグのチームを1つ倒してみたい。黒鷲旗で、何とか一花咲かせたいと思ってます。
今年はもう絶対にVリーグのチームを1つ倒す、っていう狙いで、1レベル上げて目標作ってますから。黒鷲旗を狙って、一旋風を起こそうと思ってやってるんです。

 ―― 今年入部の選手も期待ですね

そうですね。比較的キャリアを持っている選手が何人かいますから、楽しみなことは楽しみです。ただ、大きな期待っていうのはしないで、とにかく選手たちをフォローしつつ一緒にやっていくんだという気持ちでいますから。
期待をかけちゃうと、期待を裏切られるだとか、あるいは、期待っていうのは指導者のほうが勝手にこれぐらいは出来るだろうとか、そういう風に思い込むことなんで、それではちょっと、結果が出なかったときに本人にも気の毒だし、自分自身も失敗したなあ、という感じになるだろうし。
とにかく選手をフォローしながら、選手と一体になって練習を指導するんだ、という気持ちを忘れないようにしていきたいと思っているんですよ。

 ―― 監督にとって、青学女子バレー部とは?

やっぱり長年やってきただけに、自分の人生だと思ってるんですよね。バレーの指導っちゅうのは。
いまさら別なことやるっていってもなかなか出来ないと思うんで。これしかない、本当に。


 

青学職員として

 ―― 学校の職員としての、40数年間を振り返って

さっきも言ったけど、就職するところを誘われて職員になった。その時には全くバレー部の指導なんていうことも考えてなかったんですよね。ただ、夏休みは多少あるし、時間が持てるから、ま、その分好きなバレーをお手伝いできればいいなと。そういう感じだったですね。
そして3年ぐらいしたら、もう大学紛争になっちゃったですから、これはもう大変だったですね、本当に。朝早くから、夜11時、12時まで仕事やってましたんで。
学生部に最初配属になった。学生が一番嫌うのは学生部だったですから。学内のルールを守って学生生活をきちっとやっていくっていうルールがありましたんで。授業を妨害したり、ハンドマイクで、いろんな形で学校に厳しい目を向けながら学生運動やってましたんでね。そういうのがあって学生部が改組されて今度は理工学部に行き、厚生部になったんです。奨学金と学割の発行だけしてればいいと、そういう部署に変えさせられちゃったんです。
で、そのあと理工の教務に行って、そのときもね、理工の1期生がほとんど、学業のレベルが低かったせいか、ものすごい留年しちゃったんですよ、大勢。で3年ぐらいかかって全員卒業させるような、そんな計画作ったり。
教務課にいて、そのときに初めて業務の機械化をしたんですね。最初は履修申請だけだったですけど。それがやっぱり夜中の2時、3時までかかって。プログラム組みながら、COBOLっていう言語だったですけど、そういうの使って機械化していったときの最初のスタッフだったんですね。
その後、理工学部長だった人が学長になって、元学生部にいた人が何人か呼ばれて、学園紛争を収拾しないと、いつまでたってもバリケード封鎖で授業できなかったりっていうのがあったもんですから。そういうのを乗り切ってやった、っていうのが職員としての一番の思い出ですね。

 

 ―― 職員と監督の両立で、時間的には大変では?

もうだから完璧に母子家庭ですね(笑)。僕、車の免許も取ってないんですよ、だから。
ちょうどね、世田谷に行ったとき、厚生部のときですけど、青山キャンパスは紛争で荒れに荒れてたんですけど、向こうはまあ、それほどでもなかったんで、時間的には8時半に出勤して、5時過ぎには帰る。だからそのときに免許取っちゃえばよかったんですけど、またこっち(青山キャンパス)に来ちゃったんですよね、練習しに。世田谷キャンパスのすぐ横に教習所があったんですけど、いつでも取れると思ってたら、ついに時間が無くなって。
とうとう、子供の一番成長していくときに、車でどっか連れて行ってやるとか、家庭サービスでピクニックに行くとか、っていうのが全くやってあげることが出来なくて、本当に女房と子供には悪いなあと、今でも反省してますけど。
ま、これがあって、家族の理解をだんだん深めることが出来たんですけど、そのうちに。でも、子供たちには、申し訳ないな、という気持ちが一番強いです。

 ―― 学生の気質の変化などは感じますか?

例えばね、今は青山スポーツってありますけど、その前は体育会誌っていうのを作ってたんですよ。学生本部が中心となって、十何刊位までいったんですよね。ところがだんだん記事がくだけてきちゃったんです。最初の頃はすごい思い入れで、みんな作りましたから、本当に立派な文章が書かれていて非常に品位の高い機関紙だったんですけど、それがだんだん崩れてきて、遊びが入るようになってきたもんですから、テコ入れで当時の体育会長が、事務職の人に手伝ってもらって、もうちょっとアカデミックなものにしていかなきゃならない、と。
やっぱり、ちょっと気を抜くと、そういうふざけた感じがでてくるものですから。そういうのが何回も繰り返しているんじゃないかなと、そういう感じは受けますね。
だから、年によって学生の当たり外れっていうようなことを先生たちもよく言うんですよね。今年入ってきたのは凄い真面目だし、勉強もよくやる、とか、今度入ってきたのは全然おしゃべりは多いし遅刻したりするし、と非難を受けたりもすることもあるんですよね。だから、時代時代によって繰り返しのようにしてきてるんじゃないかと思いますけどね。

 ―― 職員だったものとして今の青学生に一言

僕の精神はもう、真面目にやる、っていうことが基本にありますから。
絶対職場でも遅刻しない、休まない。それはやっぱりね、人よりも早く行って、多少気持ちにゆとりをもって、それで仕事をしっかりやる。それもやっぱり、必ず目標というか、課題を作りながら、それを達成してゆく、っていう。バレーと同じスタイルだと思うんですよ、仕事もね。
だから、僕の場合、仕事を休むのは東日本インカレで2日間、全日本インカレで3日間、あと黒鷲に出れれば1日か2日、全部バレーだけ。それは自分が健康だったからそういうことも出来たと思うんですけど、ほとんど休みなく仕事もしっかり出来たというのは、これはプライドですね。
決して、怠けた形で、バレーやってるからここはおろそかにしていい、っていうのは絶対やらないように。あとから僕みたいな職員が1人でも2人でも出てきたときに、評判が落ちたんでは申し訳ないですから。
やはり、自分がパイオニアになって、あれだけ真面目にやらないとみんな評価してくれない、という実証というか、そういうことをやって初めて評価されるんじゃないかなと思ってますんで。
それが私の信念ですね。
人が評価するとかどうとかいうことじゃなくて、自分が真面目にやらないと。好き勝手なことをやってると周りから見られたんじゃ困る。それは選手にも悪い影響を及ぼしちゃう。それだと困るんで、絶対自分が見本になって、そういうことはきちっとやり遂げていくんだっていうことを学生にもわかってもらう。
それが大事だと思ってます。

真面目に。選手の指導にも熱が入る。

 


 職員としては定年を迎えた生瀬監督だが、女子バレー部監督としてはまだまだ現役。4月からはまた新たな戦いが始まる。
青学バレー部は新キャプテンでセッターの秋山選手をはじめ、昨年も活躍した選手が多く今年も期待大だ。リーグ戦の試合は青学記念館を中心に行われるので、興味をもった方は是非応援に行って欲しい。
監督、チームが目指す4冠。最初の大会、春季リーグ戦は4月8日から行われる。

 女子バレーボール部

 

 


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